こんにちは、あみです。
これまでMayuとう名前でビジネス系の情報発信や
コンテンツ販売を行ってきましたが、
今回、ビジネスネームも変更し、新しい方向に進むことを決めました。
現在は「ラテラルクリエーション」という商品を扱うビジネスをしています。
この商品は、自己イメージを変え、夢に向かって進むための近道を
見つけ行動できる人になるをコンセプトにしています。
こんな方におすすめです:
- 自信が持てず、自己否定に悩んでいる
- 目標が見えず、方向性を見失っている
- 他人と比較して劣等感を感じている
- 感情のコントロールができず、ストレスを抱えている
- 新しいことに挑戦する勇気が持てない
- 過去の失敗にとらわれて前進できない
- ビジネスを始めたもののモチベーションが保てない
この商品では、見えない世界(魂や心)と見える世界のマインドを鍛え、
夢に向かって行動できる自分になることを目指しています。
- 【なぜこの商品を作ろうと思ったのか?】
- 【この長い自己紹介文章を読むメリットは?】
- 【具合が悪いことも言えない小学生時代】
- 【部活で中学3年間、補欠!一度も大会に参加できす!自分って人より劣ってるんだの始まり】
- 【人生の1度目の転機が訪れる~!特賞に当選して初めての海外に行く!!】
- 【2度目の人生の転機 会社を辞めてワーキングホリディービザでオーストラリアへ】
- 【日本に帰ってきてから就職するもブラック企業】
- 【フリーターのような暮らし:日本は恵まれていると感じた時間】
- 【3度目の人生の転機 運命の1本の電話】
- 【オーストラリアでリストラを経験する】
- 【派遣生活ー失業ー求職ー派遣生活ー失業ー求職】
- 【せっかく5年ぐらいかけて苦労した永住権を諦める】
- 【実家で数ヶ月過ごしながら心に関する本を多読】
- 【また職探し大阪に住んでるのに東京で働く】
- 【インターネットビジネスとの出会い】
- 【突然の父の死、アカウント削除で収入途絶える】
- 【再びうつ病発症】
- 【見えない世界や潜在意識などにはまる】
- 【コンテンツビジネスの中でちょっと方向転換】
- 【筋トレと同じように自己否定癖を止める訓練をする】
- 【量子力学と心理学なども勉強する日々】
- 【成功法則や成功者のマインドを徹底的に学ぶ】
- 【なぜ諦めないのか?】
- 【私がコンテンツビジネスをしている本当の理由】
【なぜこの商品を作ろうと思ったのか?】
私自身の人生の経験が背景にあります。
ネットビジネスで起業しようと思った理由、
そしてビジネスを教えるスタイルから、
自己イメージを変える講座を作るに至った理由について、
私の人生の歴史を自己紹介として綴りました。
これまで、いろいろな種類のネットビジネスに挑戦し、今のビジネスにたどり着きました。
この記事では、私がどんな出来事を経験し、どのように人生が変わっていったのか、そして今後目指している夢について具体的にお話しします。
幼少期から中学生ぐらいまで、内気だった私が少しずつ明るい性格に変わり、20代・30代は前向きな行動力を持つ人間として生きていたのに、40代で鬱状態になり、再び自分を取り戻していく過程を記しています。
過去の経験に縛られず、自己イメージを変えて前進したいと感じている方には、共感していただける内容だと思います。
私がこれまでに歩んできた道を振り返りながら、少しでも同じような思いをしている方々に勇気やヒントをお届けできればと思っています。
半世紀以上生きてきた私の物語は長文になりますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。それでは、私の物語をお楽しみください。
【この長い自己紹介文章を読むメリットは?】
この文章を読むことで、以下のメリットがあります。
1.共感と安心感を得られます。
私の挫折や転機の経験を通じて、同じように悩んでいる方に「自分だけじゃない」と感じていただける内容になっています。
特に、自分を責めがちな方や、人生の岐路に立っている方には、共感してもらえる部分が多いはずです。
2.諦めない姿勢と勇気を学べます。
どんなに辛い状況でも、夢を追い続けることで前に進む力を得られます。私の経験を通じて、諦めないことの大切さや、そのための具体的なステップを知ることができます。
3.自己イメージを変えるためのヒントが得られます。
内気だった私が明るい性格に変わったり、自己否定から自己肯定感を高めるために行ってきた訓練についてお話しします。自己イメージを変えたいと考えている方にとって、ヒントになれるでしょう
4.ネットビジネスや自己啓発に関するリアルな学びが得られます。
私が様々なネットビジネスに挑戦して得た知識や気づき、そして失敗から学んだことをシェアします。
これからネットビジネスを始めたい方や、挫折を乗り越えたい方にとって、実践的な知識が得られるでしょう。
5.潜在意識や見えない世界の活用法を垣間見ることができます。
引き寄せの法則や潜在意識の書き換えについての体験談を通して、私がどうやって心やマインドを整えてきたかを知ることができます。
これにより、自己改善や目標達成のための新しい視点が得られるでしょう。
6.成功者のマインドセットの重要性を理解できます。
成功者のマインドセットがどれほど人生に影響を与えるかを知っていただけます。
これは、ビジネスをする人だけでなく、日常生活をより良くしたいと考えている方にも役立つ内容です。
7.自分の過去を意味のあるものに変える力を得られます。
私が過去の経験にどのように意味を見出し、それを今の自分に活かしているのかをご紹介します。
あなたの過去の経験も、未来の自分を支える大切な力になると感じていただけるでしょう。
8.具体的な行動へのインスピレーションを得られます。
私の行動力や決断力、そして実際に行動を起こしてきた具体的なステップを知ることで、「自分も動き出してみよう」というインスピレーションを得られるかもしれません。
特に、夢を口に出すことや小さな行動から始めることの大切さについても触れています。
私の人生経験が、あなたの人生にポジティブな変化をもたらすことを願っています。
もし、この記事を読んで少しでも前向きな気持ちになれたら、ぜひ一歩を踏み出してみてください。
【具合が悪いことも言えない小学生時代】
私はある東北地方の普通の家庭に
次女として生まれました。
幼少期を語ろうと思ったんですが、
あまりにも昔だしそんなに強烈な思い出がありません。
それぐらい、平凡な暮らしをしていました。
唯一覚えているのが、
小学生低学年の時、具合が悪くて吐きそうだったのに、
授業中に手を上げて先生に言えなくて、
飲み込んだことを覚えています。
虐められたわけでもなく不登校するわけでもなく、
成績がいいわけでもなく
ほんとにどこにでもいるような、普通の子供でした。
【部活で中学3年間、補欠!一度も大会に参加できす!自分って人より劣ってるんだの始まり】
中学生の思い出もそんなにないんですけど、
唯一覚えているのが、陸上部に所属していて3年間普通に部活やっていたんです。
陸上でも大会があって、その大会に参加したことが一度もないんです。
特に、得意な種目があるわけじゃなかったし、自信はなかったんですけど
中3だし、最後くらい何かエントリーしてくれるんじゃないか?
とうっすら期待していたところがあった。
ところが、陸上部顧問が下した決断は、中3最後だから大会に出れるわけではなく
大会に出て結果を残してくれそうな人が選ばれたのです。
3年間補欠、一度もレギュラーなれなかったしょぼい自分が形成されました。
私は自分のことを「しょぼい」と思っていたので、周りもそう思っているだろうと感じていました。
クラス対抗のリレー大会で、私のクラスには陸上部の女子がいなかったため、
たまたま陸上部に所属していた私がトップバッターに選ばれました。
他のクラスのトップバッターには、私を含めて4人の陸上部の選手がいましたが、
誰も私に期待していなかったし、他のクラスの選手も私をライバルとして見ていなかったと思います。
でも、そのとき、私は「絶対に1位で帰ってくる!」と決意しました。
補欠として悔しい思いをしていたことも影響したのか、結果的に1位で戻ることができました。
その姿を見たクラスメートたちは驚きながらも喜んでくれました。
他のクラスの陸上部の人もまさか、
3年間補欠だった人が、1位で次の人にバトン渡すとは
思ってなかったらしいです。
この時、自分の思い込み(決意)って結果に影響してくるなってうっすら感じ始めたところです。
成績も運動神経もいい姉と比べられた学生時代
兄弟あるあるだと思いますが、私には姉がいるのですが、姉が成績優秀でスポーツも万能だったので、いつも比べられ、いつもいつも劣等感に苛まれていました。
小学生と中学生ではどうしても学校の先生たちにも
姉の情報が行き渡ってるため、
〇〇の妹の割に、できないとかを
やたら言われてすごい嫌でした。
単純に成績も足りないから願っても行けることはなかったんですが、高校に入ったら絶対に姉と比べられない
世界で生きてやると中学生の私は心に決めて、
高校は別の高校に行ったので、やっと明るい自分に
なれた気がします。
【人生の1度目の転機が訪れる~!特賞に当選して初めての海外に行く!!】
大学一年生 19歳の時に人生の転機を迎えます!
それは、年末に大きい商店街で買い物して、15枚ぐらいの抽選券をもらいそれを持って抽選会場に行きました。
そして、ガラガラ(回って小さい色の玉がるでるやつ)で
な、なんと特賞が当たったんです!!
それは、ベルギー・アテネ・パリの旅!
これが知らない他の当選者30人と商店街のリーダーと添乗員と初の海外です。
当時の私は海外へ行くことなんて、夢の夢でした。
参加者の最年少は私19歳、最年長は69歳。
人生経験いっぱいの参加者の人たちといく初めての海外はとても刺激的な旅になりました。
この経験が後から私の人生を形成していくことになっていくとは思ってもいませんでした。
【2度目の人生の転機 会社を辞めてワーキングホリディービザでオーストラリアへ】
19歳で初海外に行ってからというもの、私の中で海外がもう夢物語ではなくなった。
お金さえあれば行けるんだ。
しかもこの時代は今のような円安でもないし、今よりは安く海外に行けた。
あくまで、今までは旅行という形をとっていたがついに海外へ長期で行くことになる。
きっかけは、会社の同僚が11月の連休あたりにオーストラリア行かない?って誘ってもらったこと
行きたい!!と思った。
最初は旅行だったはずだったのに、同僚は
”オーストラリアに友達がいるからワーキングホリディービザというもので
会社やめて、長期で行くことにした”
言われ、え、どうゆうこと? パニックになった私は色々調べた結果
①友達と旅行に行き、私は旅行だけで帰ってきて友達はオーストラリアに残る
Or
②私も会社を辞めて、ワーキングホリデービザというものを取り、オーストラリアに長期滞在するというものだった。
20歳で短期大学を卒業し就職していた私は、すでに一回転職をしており、
23歳ですでに会社を辞めるという抵抗がなくなっていました。
19歳の旅行の経験からその後何回か海外を旅行し、海外という抵抗もなかった。
ワーキングホリディビザが当時は25歳までだったので、ここで行くの辞めたら後1年ちょっとの間に
自分で辞めていく!という決断をできるか不安だった。
なら、今行っちゃおう!!と思いました。
ただ、1年という長期で行く決断ができなかった私は一応ビザだけとって、2ヶ月行ってみて
嫌だったら帰ればいいか?って1年長期海外滞在の決断できない私のハードルを下げて決断することにしました 。
でも結局、1年ワーキングホリデービザで滞在した後に、オーストラリアからアメリカ1ヶ月ぐらい旅行して、また観光ビザでオーストラリアに戻り結局1年4ヶ月ぐらいの後、日本に帰国しました。
【日本に帰ってきてから就職するもブラック企業】
オーストラリア生活があまりにも楽しくて、
日本の生活になかなか馴染めなかったのですが、
生きていかなければ、いけないので就職したものの
The、ブラック企業でした。
企業側も従業員はすぐ辞めるのを把握していたため
新入社員は、一人を除いて全員地方出身。
しかも現在住む場所がなくて、
1ルームマンションの社員寮に入る必要がある社員ばかり
つまり、この会社おかしい!!って思ってもすぐには
引越し資金でも貯まらない限り、すぐには辞められない状況
社員寮に入らなかった唯一の新入社員は、早々に辞めていきました。
問題ありすぎの会社で、
セクハラ、パワハラ当たり前。
怒鳴り散りらされる
事務で採用されたのに給料2倍の営業職で入ってきた
男性社員と同じ営業の仕事させられる
14日間連続勤務、前の日の21時過ぎに呼び出され
明日休んでいいぞって言われるまで休めない
有給休暇は家族親戚の葬式でもない限り休めない
一度も出社したことない社長の愛人の給料が
自分達の給料の2倍。
営業電話のためにガムテープで固定電話の
受話器と自分の手を固定される。
ほんとにキリがありません。
今では、ほんとにありえないっぷりが半端なくて
笑えるんですけど、当時は辛かったです。
【フリーターのような暮らし:日本は恵まれていると感じた時間】
どこ行っても社会人生活が続かない私。
社会不適合者なのかなってうっすら感じながら
バイト、または派遣社員を半年から3年ぐらい
やっては1つの職場が終わると、
短くて1週間、長くて数ヶ月海外に行くという全く将来のこと
全く考えてないような、フラフラした人生を送ります。
この頃から、もう正社員で働くことは無理と勝手に諦め始めます。
もちろん、最初は目指すのですが転職回数が多い私は不採用が続き
諦めて、バイトや派遣の仕事を探すという感じでした。
この頃は、メキシコに語学留学に行ったり、
イスラエルにボランティアいったりする経験もしました。
日本を出て、他の国に行ってみると、
本当に嫌いと思っていた日本という国に生まれた私は
どれだけ恵まれていたを感じます。
【3度目の人生の転機 運命の1本の電話】
派遣社員としては、(私にしては)長く続いていた会社に勤務していた時の話です。
グループ秘書の仕事をしていた私は、電話応対の仕事もありました。
その時受けた電話が、営業の電話がきて、多分自己啓発とか夢実現みたいな
企業に勤める社員向けのお話だったのですが、ちょうどみんな社員が出払っていて
誰にも繋げませんでした。
それでも諦めない営業の人は、私に対して話し始めました。
”営業の人”夢はありますか??
私 ”え、夢??あまり考えられないですけど。。
営業の人” 今の状況とか色々無視して、やってみたいことありますか??”
私 ” うーん!海外で働いてみたいかなあ。。ちょっと日本食レストランとかじゃなくて海外の会社とかで
オフィスワークしてみたい。でも無理だし。。。。。
営業の人” なんで無理って思うんですか?”
私 ” お金ないし、英語も中途半端だし。。。。。”
営業の人 ” でもやってみたいんですよね!できますよ!
諦める必要なんてない!
無理って思ってたら無理ですけど、
やりたいっのならやれます。
やるって決めればいいんですよ。
から始まって、色々熱い話が続きます。
なんだかんだ20分ぐらい話して、社員向けの資料は
部長宛に送ってもらうことにして電話を終えました。
それ以来、頭の中に、なんか”諦めなければいいいんだ”
やっぱり海外行きたい!!って気持ちがどんどん高まってきました。
その頃の私は素直というか、言葉のまま信じる単純な人でした。
その後、自分の夢のことばかり気になるようになって、どうにかして
行きたい気持ちが高まりました。
それから、まずはお金をためなきゃ思い、通常勤務終わった後も
夜や土日にバイトをするようになりました。
そこから、一気にオーストラリアにまた行こう!!って気持ちになってきました。
この時は、全然海外で働けるとかまでは思ってなかったんですが、、、
とりあえず、行かなきゃ!道が開けないと思ってました。
夢実現:オーストラリアで働くという夢を叶えた!
引き寄せ的にいうとルートは考えない。と巷で言われてますが
体験的には本当だと思います。
今でも、夢を叶えた細かいルートは考えてなかったんです。
とりあえず、やったことは簡潔に書いてみます。
1.夢を口にする
2.毎日、夢を思い浮かべる
3.決断する
4.お金を貯めるなどの行動始める
5.仕事やめる
6.アパート解約
7.オーストラリアに行く(観光ビザで)
どうすればいいか、エージェントに相談する
8.とりあえず、長めに滞在できるよう学校に行く
学生ビザに切り替えする
現地でアルバイトしながらの学生生活
9.学校のクラスのみんなが留学生が多くて
みんな永住権を目指してるので、自分も目指す
(夢の方向転換)
10.永住権を目指すには大学卒業しなくてはいけなくて
専門学校卒業後大学を目指す
11.大学行くも、途中で永住権の条件が変更
このまま卒業しても、永住権に申請さえできない
12.中国人の友達に”このまま諦めるの?”
学部を変更して、大学を転校すれば
まだ目指せるよ!と言われる。
中国人の友達は、エージェントを紹介してくれて
時間がないからすぐに動いてくれた。
13.全然学びたい内容ではなかったが、
永住権のために、新しい科目を学ぶ
今まで勉強してきたの単位が認められ、
少ない科目で卒業目指す。
14.その1年後ぐらいにまた永住権の条件が変更。
このまま卒業しても、申請さえできなという
絶望的な状況になる
15.絶望的な状況だけど、卒業だけはしようと
心に決める。(でもなんとなく永住権を諦めてない)
16.単位をゆっくりとって卒業の時期を
1学期伸ばしたところ、卒業式の日に
また、移民局の永住権の条件が変更。
申請が可能になる。
移民局の永住権の条件が変わるたびに、1定数の人が
諦めて自国へ帰る人もいました。
私はなんとなく、永住権をとってオーストラリアで
働く夢を諦めきれていなかったので、
少しでも長くオーストラリアにいたかったので
卒業する時期を伸ばしたことが、功を奏しました。
どうしてかというと、永住権を申請ができるのは、大学卒業してから半年以内だったのです。
もし数ヶ月早く、卒業していたら書類の準備や
永住権のための英語のテスト指定のポイント以上
取らなければ行けなかったので、そのテストを受ける
時間、結果を待つ時間などできっと
間に合っていなかったでしょう!
自分がどこか心の中で諦めなかったのが功をそうしたと
思っています。
その後、無事に永住権が数ヶ月後に取得でき、
当時の夢
(オーストラリアでちゃんとした企業で働きたい)
を超えた夢が実現できました。
その後は、オーストラリアでアメリカの企業にて
働くことになり、非常に貴重な経験ができました。
日本で働いていた時(特にブラック企業の時)とは、
真逆というぐらいこんなに快適に働けることがあるのか??
とびっくりしたことを覚えています。
【オーストラリアでリストラを経験する】
私の働いていた部署が部署ごとインドに
移動することになったのです。
それに伴い、オーストラリアで働いていた
私の部署の人(100人以上)
全員仕事を失うという事態になりました。
ですから、部署のみんな100人以上が
全員仕事を失うということになります。
全員が同じ日に退職するのですが、給料の高い役職の人は
早めに仕事を失っていきました。
その後、私は就職活動しましたが、
また就職したら、数ヶ月単位で日本に
帰ることはできなくなるなと思い
いい機会だと思い、
数ヶ月の予定で、日本に一旦帰ることにしたのです。
オーストラリアは家賃が高いので、一旦引き払います。
戻ってくる予定ではあったので、
持って行くほどでは荷物は友達に預かってもらいました。
【派遣生活ー失業ー求職ー派遣生活ー失業ー求職】
日本に帰ってから、しばらくは友達に会ったりゆっくり
しいましたが、ぼっーとしていても、お金は減っていって
しまうので、日本で仕事を探し始めました。
実家から通えるところに仕事があれば、よかったのですが
田舎なので仕事がなく、
都会に出ていき仕事探しが始まります。
オーストラリア戻る予定だったので、
正社員で働くつもり
ではなかったとはいえ、一応書類を送ってみましたが
全く受かりませんでした。
面接さえもなかなか行けませんでした。
それで、やっぱり派遣の事務職が慣れているので
派遣会社に登録して仕事を探してもらうことにしました。
派遣社員で働くというのは、
ずっと仕事の契約が続くわけではなく
3ヶ月ごとに更新されるのです。
だから、契約自体が不安定というので、
いつクビになるのかと心は落ち着かないのですが
久しぶりに働く日本での派遣の仕事は、
外資系で、派遣の仲間も
留学帰りの人が多かったし、
正社員の人やボスも仕事もできるし、
コミュニケーション取りやすい人だったので
割と快適に過ごせました。
自分の中では、2年ぐらいやったら
オーストラリアに戻ろうぐらいで始めた派遣生活ですが、
1年ぐらいでまたリストラ(派遣切り)にあってしまうのです。
これも、私だけってわけではなく派遣で働いていた人も
順番に解雇されいき、正社員の方も部署移動をさせられて
います。
まあ仕方ないかと受け入れます。
派遣の給料では、アパートの家賃から
生活費などを払っていると自由になる
お金はほとんど残りません。
休みになっても、出かけるとお金がかかるので
あまり出かけられないし
なんのために生きているのかという気持ちに
なることしばしばでした。
その度に、なんで日本に帰ってきて
しまったんだろうと思いましたが、
過去は変えられないので、諦めました。
それ以来、
派遣生活ー失業ー求職ー派遣生活ー失業ー求職
だんだん、働いてる時間よりも
ー失業&求職の時間が長くなっていきます。
失業保険はあるとはいえ、
失業期間が長くなってくるとお金も無くなるし
精神も病んでいきます。
帰ってきたすぐの頃は、
いっぱいあった仕事も数年すると、
リーマンショックの影響や
それと同時に自分の年齢上がっていくので、
なかなか派遣の事務の仕事は見つかりません。
そんな中で、何ヶ月後かに見つかった
派遣で行った先が
久しぶりの以前勤めていたブラック企業ぶりの、
日本企業でした。
そこは、ブラック企業ではありませんでしたが、
日本企業ととことん相性が悪いんですよ。
日本の企業に派遣社員として行って、
ここで、幼少期や学生時代に
特にいじめの経験もない私が
40歳過ぎて、職場で陰湿ないじめに遭う
という経験をしました。
失業の連続ですでに精神弱ってる上に
いじめに免疫のない私は、
必要以上にメンタルをやられてしまいます。
もしからたら、いろんな人間関係を経ながら
乗り越えてきた社会人の皆さんなら
耐えられた程度なのかもしれませんが
当時の私は完全にメンタルが弱弱だったので、
耐えられませんでした。
派遣なのだから3ヶ月の更新時に
やめればよかったのですが、
どこに行っても続かない自分自身を責めていたので、
我慢しなきゃという気持ちが働き、そのまま続けて
しまいました。
その結果どうなかったかというと、
倒れてしまいました。
精神的にも限界になり、
眩暈がして、倒れてしまいました。
そして、左耳が聞こえなくなる
という事態になってしまいました。
ストレスは本当に大敵です。
我慢していると、一番大切な
自分の身体がやられてしまいます。
もちろん続けられなくなったので、
仕事をやめることにします。
(派遣の更新をしなかっただけですが)
また失業生活の始まりです。
もちろん仕事もできず、具合悪い日々が続き
失業保険もらいながら、病院通いをしています。
具合も悪いのでまた、
自分の思考も後ろ向きにしか考えられず
どんどん精神も病んでいきます。
この頃からちょっとベットから起きられない
生活が始まりました。
鬱状態の始まりです。
手に追えなくなってきたので、
数ヶ月実家に帰って
治療に専念したことを覚えています。
【せっかく5年ぐらいかけて苦労した永住権を諦める】
ちょうどこの頃、せっかく4−5年がかりで取得した
オーストラリアの永住権の有効期限がキレそうでした。
永住権と言いながら、5年更新だったんですよ。
更新するためには、
5年の間に2年はオーストラリアに滞在する
必要があったんです。
永住権取ってから1年ぐらいでリストラきっかけで
日本に戻ってきてしまった私は
更新時よりも1年前にオーストラリアに
戻らなければならなかった。
でも、自分は失業中&メンタル崩壊中で
とてもじゃないけど戻れる状態ではなかったんです。
そうやって、苦労して取得した
永住権を手放すという
決断をしなければなりませんでした。
そして泣く泣く諦めました。
オーストラリアに帰るか帰らないか問題も、
日本に帰ってきて以来
ずっーと頭にあって、悩み続けていました。
諦めたんだから、悩みが減って楽になるはずだったのに、
あんなに頑張った努力を自分で無駄にしてしまった
自分を責めてしまって苦しかったです。
でも自分を責めるのは一番良くないってことに
この時は気づいていませんでした。
【実家で数ヶ月過ごしながら心に関する本を多読】
この頃から、自分の心をなんとかするために、
引き寄せの法則とか、脳科学とか心理学とか
色々本を読み漁っていきました。
そしてなるべく、自分を責めず
自分をめちゃくちゃ優しく過ごしていきました。
親も近くにいたので安心感もあり
だんだん容体は回復してきました。
でも、18歳で実家から出て以来、たまにちょっと滞在では
帰ってくるけど、になぜが永住はしたくたいという
強い信念みたいなものをこの頃は持っていました。
【また職探し大阪に住んでるのに東京で働く】
実家から当時住んでいた大阪に戻り
派遣の仕事を探し始めました。
でもやっぱり数ヶ月経っても
見つからなかったんです。
そんな、途方に暮れていた頃です。
以前東京で住んでいた時に
東京の住所で登録したままだった
派遣会社から連絡がきました。
これは、チャンスと思い話を聞いてみることに
したのです。
外資系の会社で上司が日本語話せない外国人
のアシスタントでした。
でも、英語使う割には時給があまり良くはなく
しかも会社が駅から離れた、不便な場所にあるので
かつ、割と何もないとこにあるので
なかなか、受けてくれる人がいなくて困ってるのだそう。
40歳過ぎてる私に、回ってくるぐらいだから
相当、派遣会社の人も困ってる様子で、とりあえず
エントリーしてみてもらえませんか?
と言われました。
*エントリーというのは、この仕事に興味があると
自分の意思を示して、企業側に私の経歴書見ないなものを
送るという行為のこと
この頃の私はエントリーしても書類選考で落ちて、
実際に企業の担当者に会いにいく面談(という名の面接)
まで、たどり着けることはほとんどなかったので、
またどうせ落ちるだろうと
気軽な気持ちで、エントリーしました。
そしたら数日後、エントリーが通って
企業の担当者に会いにいくことになりました。
つまり、東京に行くということです。
ちょっと焦りつつも、どうせ受からないだろうから
企業の社会科見学も兼ねて、いってみることに。
そしたら、受かったしまったんですよ。
仕事決まったの嬉しい!でも
え?私、東京に住んでないけど?
プチパニックですよ。
来週から来てくださいって
働くまで、5日間ぐらいしかない
どうする私!
家どうするの?
でも私は冷静に思い返しました。
確か企業は正社員探してたけど
なかなか見つからないから、
派遣さんを採用することにしたんです。
っていってたぞ!!
これは完全に繋ぎだろうな
これは、長くないかもしれない。
突然、首切られるパターンか??
アパートの解約するのは危険だと、
察知しました。
なので、大阪のアパートはそのままで
東京に一時的に住むところを探すことにしました
本当に数日しかなかったので、
シェアハウスのようなところを見つけ、
一時は年齢制限で入れられないと言われたのですが、
会って決めますといってくれて、
シェアハウスのオーナーにあいにくことにしました。
なんとか説得して入居を許可してもらいました。
でも、10何人のお部屋で、一人のスペースは
もはや人間の住むところとは思えない
押し入れの下ぐらいしかなくて、
立つことができません。
20代の時、散々シェアアウスに住んだ
経験がある私でも
まさかこの年で、人生で一番狭い空間に
住むことになるとは思いませんでした。
なんせ、大阪の家賃と、東京のシェアハウス
家賃をタブルで払っているので、
なるべく、シェアハウスの金額は
抑えたかったので、我慢しました
でも流石に、1ヶ月ぐらいで限界がきて
もう少し、広いシェアハウスに
引っ越しました。(笑)
その後、その会社では割と楽しく
仕事をさせてもらって、
いたのですが、1年も経たないうちに
その日は突然訪れました。
突然の解雇です。(やっぱり)
しかも、更新時ではなく更新よりも3週間早く
来週から来なくてもいいです!と。
やっぱり、若い正社員
(しかも可愛くて英語ペラペラでハーフの)
その子が入ってくる
ために、体制を整えるんですって~。
まあ、そうなるよね。って感じです。
不条理に出勤できなくなった
3週間分のもちろん
お金はもらえますよ。
でも、”来週から来なくてもいいです”という
パワーワードに傷つきました。
その3週間は、東京でできた友達、
元からいる友達と会ったり
実家に帰ったりしながら、
住んでないのにお金を払い続けていた
年明けに大阪のアパートに戻りました。
【インターネットビジネスとの出会い】
大阪に戻った私は
仕事を探し始めるも全然どこに受からない。
この頃から、自分のストレス抱え過ぎて
病気になってしまった症状がひどくなり
始めました。
たまに襲ってくる目眩や
左耳の聞き辛さ増していました。
左耳は今でも重度の難聴です。
ほぼ聞こえません。
「もう外で働くのは無理なのかもしれない。」
「だけどどうやって食べて行ったらいいのか?」
と思いました。
それから、
「インターネットで稼いでる人が
いることに気づきました」 ここから、私のインターネットビジネスの
出会いが始まります。
最初は、ひたすら検索ばかりしまくっていました。
ブログを立ち上げる??
アフィリエイト??
物販??
など、色々わからないことばかり。
なんでも2ヶ月間ー1万円でなんでも相談に乗りますよ
という人にお金を払ったのが最初です。
わからな過ぎて、質問ができなくて、
一回ぐらいしか聞けなかったのを
覚えています。
初心者って、何がわからないのかも
わからないんですよね。
その後、当時は大阪に住んでいたし、
いろんなところでリアルセミナー(無料から三千円)
やっていたので、いっぱい参加しました。
そこで、色々なビジネス用語が
飛び交っていて最初はついていけなかったのですが
何回も参加してる間に、わかるようになってきました。
その中で気になった用語
ノウハウコレクター
という言葉、人に聞いたら、
ノウハウばかり収集していてちっとも行動しない人
らしい。つまりはいっぱい教材買ったり、
塾に入ったりするけど
あまり結果を出せずに、
次から次へと別の手法を探してる人たちのこと
だったのです。
自分は絶対にそんな人にはならない
と思っていたのに、
自分もその仲間入りを果たしていくのでした。
セミナーに参加すると
明らかに胡散臭いのも多少ありましたが
プレゼンがうまくて
そこで紹介される塾やコンサルなどに
申し込みたくなるんですよね!
そして、気づいたら
国内転売塾
国内転売コンサル
アマゾン輸出
アプリ制作
ブログアフィリエイト塾*2
高額ビジネス塾
Twitter塾(当時はTwitter)
その他、ありとあらゆる教材
全く利益が出なかったわけではなくて
それぞれ多少の利益は出しましたが、
それ以上に塾代やコンサル代の
借金が溜まっていきました。。
今考えてみると、
うつの状態は良くなったたとはいえ、
完全には治ってなかったし
たまに具合は悪くなるし
更年期は始まるし、
自分なんて ダメな人間だと思い込みがあるのに。
うまくいく訳がありませんでした。
でも真っ最中にいる時は全然気づかないんですよ。
いくら実力のある稼いでる人に教わっても
自分はダメ人間と思っていると、
ダメ人間が出来上がります。
特に個人コンサルの時はまだいいのですが、
塾みたいなものに入る時は
他人との比較で落ち込んでしまいがちな人は地獄です。
そんなビジネス塾に入ってくる人は
①私みたいにメンタル弱弱な人間。
②メンタルは弱くわないけれど、
マインドが整ってない人間
③メンタルとマインドも整ってるけど、
そこそこ行動ができる人
④メンタルとマインド整ってるけど、
めっちゃ行動ができる人
⑤メンタルとマインドが整いつつ
他のビジネス塾も経て
ある程度もう知識が実績が
ある人
ビジネス塾では④、⑤の人が
メキメキ伸びていきます。
比較競争をつい、してしまい
落ち込む傾向にある人は
そんな人たちを見て
自分と比べて落ち込んでしまいます。
大体、この塾に入って
結果が出ましたと紹介されてる人たち
は、④と⑤のタイプが多いです。
私の場合は、メンタルダメ、マインドダメ、
さらに具合が悪い、すでに40代後半。
そんな人がメンタル強い、マインド整ってる
若くて体力もあってやる気に
満ち溢れた人たちに
ついていける訳がありません。
メンタルとマインドも整ってるだけでなく、
行動量、作業量もすごい人たちと
結果だけ比べては、落ち込み、自己卑下をし
また作業ができなくなるの繰り返しでした。
そのうちに、自分のメンタルを整えたり、
モチベーションを上げるために
時間を取られ、
肝心の作業は全然進みませんでした。
【突然の父の死、アカウント削除で収入途絶える】
そんな中、なくなる15分前まで元気だった父が
突然死してしまいました。
姉から夜に電話があり、一睡もできずに
翌朝の新幹線で東北の実家へ帰りました。
父親が大好きだった私はもう信じられなくて、
深い悲しみが襲ってきました。
あまり荷物を持っていかなかったので、
お葬式等々、終わってからは再び大阪に
戻りました。
そして、ちょうど同じ時期に、
アプリの広告から多少なりとも
収入を得ていたのに
Googleのアカウントが削除になり、
収入0になってしまいました。
ダブルのショックで落ち込んで、
しばらく放心状態になリました。
でもお金稼がないといけないとなると
なかなかうまくいかない
インターネットビジネスやってる場合ではない
外に仕事を探しにいかなきゃ
と思いましたが、
でも、まだ突然めまいがするとか
左耳が聞こえないのが
改善されてなかったので、
また職探しをする気力がありませんでした
そうしたら、どんどん自分を責め続けてしまって
また、ベットから出られない日々が続きました。
【再びうつ病発症】
一度うつ病になった人は、
なりやすいと聞いていたが、
また、うつ状態になってしまいました。
前よりも症状がひどくて、
普通に呼吸するのが難しい感じでした。
薬がないと
過呼吸のちょっと弱い感じに
呼吸が激しくなり、
生きていくのもしんどいと感じていました。
今まで絶対実家には(住むために)帰りたくない
と思っていましたが、
高齢の母も一人で心配ですし、
何よりも自分が壊れそうだったので
30年以上ぶりに実家に引っ越すと
ということにしました。
決断したというよりも、
もう自分が身体的にも精神的にも限界だったので
嫌とか言ってる場合っではありませんでした。
それでもうつ状態は相変わらずで、市役所の手続きとか
普段ならできることも、理解ができなくて
友達が区役所に一緒に行ってくれたり、
荷物の手配や引っ越しの
手配も友達が代わりにやってくれました。
本当に、
その友人がいなかったら、
どうなっていたんだろうって思います。
本当に人は一人では生きていけないなと思いました。
ものすごくありがたかったです。
【見えない世界や潜在意識などにはまる】
実家に帰ってきても
とりあえずはメンタルの回復からなので
しばらくは何もできませんでした。
でも、少しずつ、洗面台周りだけ掃除をするとか
小さいことが出来るようになっていきました。
うつ病のまま一人で過ごしているのと、
私が動けない時は、代わりに生活用品を買いに行ったり
一緒に食べる相手がいるのでは
だいぶ心の安心感が違いました。
実家のいらないものを捨てたり、1箇所だけ掃除したり
何か自分で動けたことが
ちょっとづつ自信になっていきました。
その間に、また、いっぱい潜在意識とか
引き寄せの法則やらシークレットやら
色々な書物を読んでいきました。
脳科学や量子力学や心理学
自分を元気付けるためにいっぱいの本を読みました。
最初は病院にもかよい、
薬も処方してもらいましたが
それよりも、自分を回復するためにした
勉強が、自分を楽にしてくれていきました。
見えない世界のこと前から存在は知っていて、
興味があったのですが、さらっと読んだぐらいで
全然、自分が納得するまで
わかってはいなかったと思います。
この頃に学んだ見えない世界のことが
すごい役に立って、気持ちがどんどん変わっていきました。
更には、コミュニティに入ったりして
どんどん自分自身に向き合っていきました。
そうしたら、気持ちがどんどん上向きになって
いきました。
そして、私は思いました。
オーストラリアから帰国後ぐらい
なかなか上手くいかなかった理由
それとは逆に、夢を実現できた20代ー30代
なぜ上手く行ったのかが??
自分の体験と勉強した知識と
組み合わされて腑に落ちてきました。
全ての原因は自分の内側にあったのだと!
コンテンツビジネスとの出会い
心がだいぶ元気になってきた私は、
今まで色々やってきた副業の中でもやってこなかった、
コンテンツビジネスに参入するしました。
コンテンツを作る方法も知らなかったので、
無料あさったり、
有料の情報を購入したりして勉強しました。
ライティング教材から、マーケティングの教材
商品作成の教材をたんまりと買い込みました。
コンテンツどうしよう?って
わからないことが多すぎて
手が止まってしまっていたのです。
たまに教材には無料相談のチャンスを
くれている販売者がいて
思い切って相談したところ、
いいアドバイスをもらえました。
やはり、教材を買って勉強しても
実際に商品を作って売るっていう体験をしないと、
お金を稼ぐことはできないと改めて思わされました。
その後、自分自身でで商品作り始めたのですが、
試行錯誤しては、やり直して半年もかかりました。
それでも、自分の商品ができた時には嬉しかったです。
そして初出品した商品が売れたときは
めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。
100円の商品だったのですが、
42個ぐらい売れて、その後も1980円に値上げしてからでも売れたんです。
一番嬉しかったのは、
自分の商品で、すごくためになってこの教材に教わったことを
実践していこうと思えました。と言ってもらったことです。
そんなに高くもない商品を作るのに、
半年もかかっていては、全然ダメだと思いました。
やっぱり、一人でやるのは限界があるのか?!
コンサルつけないとダメか?
と思っていた頃に、
『コンテンツ販売で結果を出してる、
人から学ぶ決断をし、
その人からコンサルを受ける事にしました』
その人からは、効率の良いやり方を学び
半年かかってた商品作りも1週間ぐらいで、
できるようになりました。
できる人から直接教わってよかったことは
『分からない事をすぐ相談できること』
マニュアルを読んでも分からない操作とかも
Zoomで一緒に作業しながら、
教えてもらえてとてもよかったと思っています。
ビジネス以外でも、ちょっとしたお小遣い稼ぎの
情報なども教えてくれたり役に立ちました。
Brainという、コンテンツを売るプラットフォームで
商品を売るという経験ができてとても
いい経験ができました。
その後は、プラットフォームに
頼らず、自分の商品を作り19,800円ぐらいの
商品はポツリポツリと売れたんですが、
でも、なんか心がスッキリしないんです。
『なんかもっと自分が伝えたいことがちょっと違う』
とモヤモヤし始めました。
【コンテンツビジネスの中でちょっと方向転換】
ちょうどモヤモヤしていた頃、
『非稼ぐ系の商品販売できるビジネスを教える』
という感じの企画を立ち上げた人がいました。
その人は、Brainで教材を色々買い漁っていた
時に知り合った私よりも結果を出している人です。
その人のが作る教材はわかりやすくて何個も
教材も買っていたし、Zoomでお話ししたことも
ある人だったので、いつもは迷う私ですが、
この時は、迷わず参加しました。
非稼ぐ系というのは、
占いとか恋愛系とかスピリチャルとか心理系とか
とにかくお金を稼ぐをテーマにしないものです。
自分はどんなものに興味があるかな??と
自問自答したときに、やはり
数年前に学んでた、引き寄せ、量子力学
脳科学、心理学、宇宙法則、成功法則などが
心やマインドを整える系が自分の伝えたいことだ
と気づきました。
【筋トレと同じように自己否定癖を止める訓練をする】
見えない世界のことを学んでからは、
自己否定はなんの特にならないとわかり
自分否定をせず、
自分を許すことを心がけてしていますが
たまに癖で責める癖が出てきてしまいます。
でも、その度に自分を認めてあげられるように
自分を責めそうになったら聞く動画などを
作成して、自分を自分でコーチしながら
実践しています。
理論を理解したからって、日々訓練しないと
元の自分の思考癖に戻っていきます。
【量子力学と心理学なども勉強する日々】
宇宙の法則などの、見えない世界のことを
勉強していると、量子力学や、心理学も気になって
学びました。
そこで気づいたことは、
細かいアプローチは
宇宙の法則など、見えない世界
で言ってること ビジネスの世界で習ったこと
量子力学、心理学などに
いっぱい共通点があり
ただ、それぞれ違う用語を使って説明してるんだな
ということに、気づきました。
その上でやはり土台になるのは
自分の内側である心(魂)なんだと思いました。
【成功法則や成功者のマインドを徹底的に学ぶ】
心(魂)が元気になってきて、
ビジネスまたやろうと思っても
成功者が当たり前のように持ち合わせている
成功マインドも自分の心(魂)
と共に鍛えていかなければ、なかなか
行動に移したりすることは難しいなと
感じました。
ビジネス塾に入っていた時も
マインドは超大事だよと言われてきましたが、
私も含め、当時の参加者はマインドなんていいから
早く、ノウハウ教えてくれ!っていう態度でした。
もちろんこの態度も問題ですが、
マインドを舐めていた人たち、みんな結果に
なかなか結び付かなかったことが
今はっきりとわかります。
なので、億越えの経営者から成功マインドを
現在進行形で学んでいます。
この成功マインドは、別にビジネスやらない人でも
人間としていくていく上でも
すごく成長できるので
学んだほうがいいです。
現在、成功マインドも構築しつつ
人間としても日々成長中です。
【なぜ諦めないのか?】
これまでも、いろんなことに挑戦してきましたが
自分の満足いく結果がまだ、出ていなくても
なんで夢を追いかけることをやめないのか??
それは、諦めなければ夢に近づくことができるのを
信じているからです。
確かに私は20代、30代の時の夢は
一回叶えたことがあるという、
経験からでしょと思う人もいるかもしれません.
確かにあの頃は無我夢中で、
自分の存在のことも否定していなかったし
いい方向にいくというのを信じることが
自然にできていましたし、
引き寄せの法則とか
宇宙の法則で書かれてるようなことを
天然で実践していました。
でも日本に帰ってきてからは
すっかりネガティブ思考、
常に自己否定
常に後ろ向き
15年以上にわたって続き、
自己否定が
身体の一部のようになった私でも、
またちゃんと訓練して
自分の思考ぐせや自己否定をやめて
自己イメージを覆して
夢を叶える未来の自分を
信じられるようになりました。
これは、1日2日とかでは、身につくものではなく
ある一定期間、筋トレのように訓練した結果です。
そしてこの体験が夢を諦めてる人の
誰れかの力になればいいなと
心から思っているからです。
一見失敗に見えるビジネスコンサル数回、
10個以上のビジネス塾入った経験も、
心とマインドが整えてから聞くと
とても理解できるし、今更ながらに役立ってることが
いっぱいあります。
そして、今までの私のマイナスの出来事
全てに意味があったんだ
と心から思えているからです。
自分が天然で夢を叶えた時の、
思考パターンなども自己分析し、
そのデータも利用しながら、
また新たな夢を
達成できると信じでいます。
だから、いろんなことを諦めるわけには
いきません。
【私がコンテンツビジネスをしている本当の理由】
私はこれまで、宇宙の法則や心理学、成功マインドなどを学びながら、
自分の軸を整え直してきました。
その結果、普段の生活が以前よりも生きやすくなったと感じています。
そこで、同じように自己否定に悩む人や、
ビジネスを始めても途中で諦めてしまう人、
自分を過小評価して前に進めない人たちのサポートができる商品を作りたいと考えました。
この商品を作るに至った理由は、
私自身が「思考の癖」や「自己否定」が原因で、多くのチャンスを逃してきた経験があるからです。
自信を持てず、他人と自分を比較して落ち込んだり、
感情をコントロールできずにストレスを抱えたり、
行動に移せないまま悩み続けた日々を過ごしてきました。
しかし、それらを克服し、少しずつ前向きな自分を取り戻せたのは、
自分の心の在り方を変えることができたからです。
私が作る「ラテラルクリエーション」は、
こうした思考の癖や自己否定を辞め、自己イメージを変えて、夢に向かって行動できる自分になるためのプログラムです。
これを通じて、私自身と同じように可能性を諦めてしまっている人たちが、
自分を責めず、もっと楽に生きられるようにサポートしたいと思っています。
「自分なんか…」と思ってしまう人や、無駄に落ち込んでしまう人、
過去の失敗に縛られて前に進めない人が、自分の本当の可能性に気づき、より生きやすい人生を手に入れるお手伝いをしたい。それが私の願いです。
辛いよりも楽しい方が良いに決まっていますし、
視野を広げて思考の癖を直していけば、どんどん前向きに生きていけると信じています。
だからこそ、私のプログラム”ラテラルクリエーション”を通して、共に成長しながら、
自分の可能性に諦めていたことにチャレンジしたり、考え方などを変えて生きやすい人が
増えていく世界を目指しています。
私自身の経験と学びを活かし、未来のお客様と自分を助ける最強のプログラムを作り続けていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
あなたの未来がより良い方向に行くことを願っています。