なぜ、ネットビジネスで起業しようと思ったのか?
ネットビジネスに出会ってどのようにして人生が変化を遂げていったのか?
私がどんな出来事があってネットビジネスを始めるに至り
いろんな種類のネットビジネスを経て今やっているものにたどり着き
今後目指している夢を具体的に話していこうと思います。
もし、これを読んで少しでも
私が感じたような同じ思いをしてる人がいたら嬉しいですし、
人生を振り返りながら共有できたら良いなと思っています。
はじめに私がどんな環境で育ってきたのか?
学生時代から社会人になってから、
過去にどのような経験をしてきて、
今ネットビジネスの世界に入ったのか?
内気な性格から外交的な性格になり
前向きな行動力がある人だったのに、
後ろ向きなネガティブ思考で鬱状態になった人が
また自分を取り戻していく変化を書いていきます。
半世紀以上生きていますので、
かなり長文にはなりますが
最後まで読んでくれると嬉しいです。
それではここから始まりです。
- 具合が悪いことも言えない小学生時代
- 【部活で中学3年間、補欠!一度も大会に参加できす!自分って人より劣ってるんだの始まり】
- 【人生の1度目の転機が訪れる~!特賞に当選して初めての海外に行く!!】
- 【2度目の人生の転機 会社を辞めてワーキングホリディービザでオーストラリアへ】
- 【日本に帰ってきてから就職するもブラック企業】
- 【フリーターのような暮らしと日本は恵まれていると感じた時間】
- 【3度目の人生の転機 運命の1本の電話】
- 夢実現:オーストラリアで働くという夢を叶えた!
- 【オーストラリアでリストラを経験する】
- 【せっかく5年ぐらいかけて苦労した永住権を諦める】
- 【うつが回復してきたので、また職探し大阪に住んでるのに東京で働く】
- 【突然の父の死、アカウント削除で収入途絶える】
- 【再びうつ病発症】
- 【見えない世界や潜在意識などにはまる】
- コンテンツビジネスとの出会い
- 【筋トレと同じように自己否定癖を止める訓練をする】
- 【成功法則や成功者のマインドを徹底的に学ぶ】
- 【なぜ諦めないのか?】
- 【自分の心がモヤモヤしない商品を作りたいと思う】
- 【私がコンテンツビジネスをしている本当の理由は?】
具合が悪いことも言えない小学生時代
私はある東北地方の普通の家庭に
次女として生まれました。
幼少期を語ろうと思ったんですが、あまりにも昔すぎてあまり覚えていません。
それぐらい、平凡な暮らしをしていました。
唯一覚えているのが、
小学生低学年の時、具合が悪くて吐きそうだったのに、
授業中に手を上げて先生に言えなくて、飲み込んだことを覚えています。
虐められたわけでもなく不登校するわけでもなく、成績がいいわけでもなく
ほんとにどこにでもいるような、普通の子供でした。
【部活で中学3年間、補欠!一度も大会に参加できす!自分って人より劣ってるんだの始まり】
中学生の思い出もそんなにないんですけど、
唯一覚えているのが、陸上部に所属していて3年間普通に部活やっていたんです。
陸上でも大会があって、その大会に参加したことが一度もないんです。
特に、得意な種目があるわけじゃなかったし、自信はなかったんですけど
中3だし、最後くらい何かエントリーしてくれるんじゃないか?
とうっすら期待していたところがあった。
ところが、陸上部顧問が下した決断は、中3最後だから大会に出れるわけではなく
大会に出て結果を残してくれそうな人が選ばれたのです。
3年間補欠、一度もレギュラーなれなかったしょぼい自分が形成されました。
私は自分のことを「しょぼい」と思っていたので、周りもそう思っているだろうと感じていました。
クラス対抗のリレー大会で、私のクラスには陸上部の女子がいなかったため、
たまたま陸上部に所属していた私がトップバッターに選ばれました。
他のクラスのトップバッターには、私を含めて4人の陸上部の選手がいましたが、
誰も私に期待していなかったし、他のクラスの選手も私をライバルとして見ていなかったと思います。
でも、そのとき、私は「絶対に1位で帰ってくる!」と決意しました。
補欠として悔しい思いをしていたことも影響したのか、結果的に1位で戻ることができました。
その姿を見たクラスメートたちは驚きながらも喜んでくれました。
他のクラスの陸上部の人もまさか、
3年間補欠だった人が、1位で次の人にバトン渡すとは
思ってなかったらしいです。
この時、自分の思い込み(決意)って結果に影響してくるなってうっすら感じ始めたところです。
環境を変える!【高校生、新たな自分になると決意する!】
私は高校を選ぶ際に、わざと遠くの学校にしました。
それは、小中学生時代の自分を知っている人が少ない学校を選ぶことで、新しいスタートを切りたかったからです。
おかけで、明るいタイプの友達ができ高校生活は割と楽しく過ごせました。
苦い思い出のある運動部に入るのは、自己否定が加速しそうなのでやめて、文化部に入部しました。
いまいちな人生から少し青春を謳歌してる私になりたい!
と強くイメージしたら実際にすごい楽しい高校生活を送ることができました。
【人生の1度目の転機が訪れる~!特賞に当選して初めての海外に行く!!】
大学一年生 19歳の時に人生の転機を迎えます!
それは、年末に大きい商店街で買い物して、15枚ぐらいの抽選券をもらいそれを持って抽選会場に行きました。
そして、ガラガラ(回って小さい色の玉がるでるやつ)で
な、なんと特賞が当たったんです!!
それは、ベルギー・アテネ・パリの旅!
これが知らない他の当選者30人と商店街のリーダーと添乗員と初の海外です。
当時の私は海外へ行くことなんて、夢の夢でした。
参加者の最年少は私19歳、最年長は69歳。
人生経験いっぱいの参加者の人たちといく初めての海外はとても刺激的な旅になりました。
この経験が後から私の人生を形成していくことになっていくとは思ってもいませんでした。
【2度目の人生の転機 会社を辞めてワーキングホリディービザでオーストラリアへ】
19歳で初海外に行ってからというもの、私の中で海外がもう夢物語ではなくなった。
お金さえあれば行けるんだ。
しかもこの時代は今のような円安でもないし、今よりは安く海外に行けた。
あくまで、今までは旅行という形をとっていたがついに海外へ長期で行くことになる。
きっかけは、会社の同僚が11月の連休あたりにオーストラリア行かない?って誘ってもらったこと
行きたい!!と思った。
最初は旅行だったはずだったのに、同僚は
”オーストラリアに友達がいるからワーキングホリディービザというもので
会社やめて、長期で行くことにした”
言われ、え、どうゆうこと? パニックになった私は色々調べた結果
①友達と旅行に行き、私は旅行だけで帰ってきて友達はオーストラリアに残る
Or
②私も会社を辞めて、ワーキングホリデービザというものを取り、オーストラリアに長期滞在するというものだった。
20歳で短期大学を卒業し就職していた私は、すでに一回転職をしており、
23歳ですでに会社を辞めるという抵抗がなくなっていました。
19歳の旅行の経験からその後何回か海外を旅行し、海外という抵抗もなかった。
ワーキングホリディビザが当時は25歳までだったので、ここで行くの辞めたら後1年ちょっとの間に
自分で辞めていく!という決断をできるか不安だった。
なら、今行っちゃおう!!と思いました。
ただ、1年という長期で行く決断ができなかった私は一応ビザだけとって、2ヶ月行ってみて
嫌だったら帰ればいいか?って1年長期海外滞在の決断できない私のハードルを下げて決断することにしました 。
【日本に帰ってきてから就職するもブラック企業】
オーストラリア生活があまりにも楽しくて、
日本の生活になかなか馴染めなかったのですが、
生きていかなければ、いけないので就職したものの
The、ブラック企業でした。
企業側も従業員はすぐ辞めるのを把握していたため
新入社員は、一人を除いて全員地方出身。
しかも現在住む場所がなくて、
1ルームマンションの社員寮に入る必要がある社員ばかり
つまり、この会社おかしい!!って思ってもすぐには
引越し資金でも貯まらない限り、すぐには辞められない状況
社員寮に入らなかった唯一の新入社員は、早々に辞めていきました。
問題ありすぎの会社で、
セクハラ、パワハラ当たり前。
怒鳴り散りらされる
事務で採用されたのに給料2倍の営業職で入ってきた
男性社員と同じ営業の仕事させられる
14日間連続勤務、前の日の21時過ぎに呼び出され
明日休んでいいぞって言われるまで休めない
有給休暇は家族親戚の葬式でもない限り休めない
一度も出社したことない社長の愛人の給料が
自分達の給料の2倍。
営業電話のためにガムテープで固定電話の
受話器と自分の手を固定される。
ほんとにキリがありません。
今では、ほんとにありえないっぷりが半端なくて
笑えるんですけど、当時は辛かったです。
【フリーターのような暮らしと日本は恵まれていると感じた時間】
どこ行っても社会人生活が続かない私。
社会不適合者なのかなってうっすら感じながら
バイト、または派遣社員を半年から3年ぐらい
やっては1つの職場が終わると、
短くて1週間、長くて数ヶ月海外に行くという全く将来のこと
全く考えてないような、フラフラした人生を送ります。
この頃から、もう正社員で働くことは無理と勝手に諦め始めます。
もちろん、最初は目指すのですが転職回数が多い私は不採用が続き
諦めて、バイトや派遣の仕事を探すという感じでした。
この頃は、メキシコに語学留学に行ったり、
イスラエルにボランティアいったりする経験もしました。
日本を出て、他の国に行ってみると、
本当に嫌いと思っていた日本という国に生まれた私は
どれだけ恵まれていたを感じます。
【3度目の人生の転機 運命の1本の電話】
派遣社員としては、(私にしては)長く続いていた会社に勤務していた時の話です。
グループ秘書の仕事をしていた私は、電話応対の仕事もありました。
その時受けた電話が、営業の電話がきて、多分自己啓発とか夢実現みたいな
企業に勤める社員向けのお話だったのですが、ちょうどみんな社員が出払っていて
誰にも繋げませんでした。
それでも諦めない営業の人は、私に対して話し始めました。
”営業の人”夢はありますか??
私 ”え、夢??あまり考えられないですけど。。
営業の人” 今の状況とか色々無視して、やってみたいことありますか??”
私 ” うーん!海外で働いてみたいかなあ。。
ちょっと日本食レストランとかじゃなくて海外の会社とかで
オフィスワークしてみたい。でも無理だし。。。。。
営業の人” なんで無理って思うんですか?”
私 ” お金ないし、英語も中途半端だし。。。。。”
営業の人 ” でもやってみたいんですよね!できますよ!
諦める必要なんてない!
無理って思ってたら無理ですけど、
やりたいっのならやれます。
やるって決めればいいんですよ。
から始まって、色々熱い話が続きます。
なんだかんだ20分ぐらい話して、社員向けの資料は
部長宛に送ってもらうことにして電話を終えました。
それ以来、頭の中に、なんか”諦めなければいいいんだ”
やっぱり海外行きたい!!って気持ちがどんどん高まってきました。
その頃の私は素直というか、言葉のまま信じる単純な人でした。
その後、自分の夢のことばかり気になるようになって、どうにかして
行きたい気持ちが高まりました。
それから、まずはお金をためなきゃ思い、通常勤務終わった後も
夜や土日にバイトをするようになりました。
そこから、一気にオーストラリアにまた行こう!!って気持ちになってきました。
この時は、全然海外で働けるとかまでは思ってなかったんですが、、、
とりあえず、行かなきゃ!道が開けないと思ってました。
夢実現:オーストラリアで働くという夢を叶えた!
引き寄せ的にいうとルートは考えない。と巷で言われてますが
体験的には本当だと思います。
今でも、夢を叶えた細かいルートは考えてなかったんです。
とりあえず、やったことは簡潔に書いてみます。
1.夢を口にする
2.毎日、夢を思い浮かべる
3.決断する
4.お金を貯めるなどの行動始める
5.仕事やめる
6.アパート解約
7.オーストラリアに行く(観光ビザで)
どうすればいいか、エージェントに相談する
8.とりあえず、長めに滞在できるよう学校に行く
学生ビザに切り替えする
現地でアルバイトしながらの学生生活
9.学校のクラスのみんなが留学生が多くて
みんな永住権を目指してるので、自分も目指す
(夢の方向転換)
10.永住権を目指すには大学卒業しなくてはいけなくて
専門学校卒業後大学を目指す
11.大学行くも、途中で永住権の条件が変更
このまま卒業しても、永住権に申請さえできない
12.中国人の友達に”このまま諦めるの?”
学部を変更して、大学を転校すれば
まだ目指せるよ!と言われる。
中国人の友達は、エージェントを紹介してくれて
時間がないからすぐに動いてくれた。
13.全然学びたい内容ではなかったが、
永住権のために、新しい科目を学ぶ
今まで勉強してきたの単位が認められ、
少ない科目で卒業目指す。
14.その1年後ぐらいにまた永住権の条件が変更。
このまま卒業しても、申請さえできなという
絶望的な状況になる
15.絶望的な状況だけど、卒業だけはしようと
心に決める。(でもなんとなく永住権を諦めてない)
16.単位をゆっくりとって卒業の時期を
1学期伸ばしたところ、卒業式の日に
また、移民局の永住権の条件が変更。
申請が可能になる。
移民局の永住権の条件が変わるたびに、1定数の人が
諦めて自国へ帰る人もいました。
私はなんとなく、永住権をとってオーストラリアで
働く夢を諦めきれていなかったので、
少しでも長くオーストラリアにいたかったので
卒業する時期を伸ばしたことが、功を奏しました。
申請するのは、卒業してから半年以内だったのです。
もし数ヶ月早く、卒業していたら書類の準備や
永住権のための英語のテスト指定のポイント以上
とられければ行けなかったので、
間に合っていなかったでしょう!
無事に、永住権が数ヶ月後に取得でき、
当時の夢(オーストラリアでちゃんとした企業で働きたい)
を超えた夢が実現できました。
その後は、オーストラリアでアメリカの企業にて
働くことになり、非常に貴重な経験ができました。
日本で働いていた時(特にブラック企業の時)とは、真逆というぐらい
こんなに快適に働けることがあるのか??とびっくりしたことを
覚えています。
【オーストラリアでリストラを経験する】
リストラと言っても、まだ勤めて1年ぐらいの私は精神的なストレスは
長く勤めている人に比べれば大したことはありませんでした。
別に私が悪いわけではなく、部署自体がインドに移動するからという理由でした。
ですから、部署のみんな100人以上が全員仕事を失うということになります。
全員が同じ日に退職するのですが、給料の高い役職の人は
早めに仕事を失っていきました。
退職してからの進路がみんなバラバラで、私ももれなく就職活動
しましたが、また就職したら、数ヶ月単位で日本に
帰ることはできなくなるなと思い数ヶ月の予定で、日本に一旦帰ることにしたのです。
オーストラリアは家賃が高いので、一旦引き払います。
戻ってくる予定ではあったので、
持って行くほどではないものは友達に預かってもらいました。
【派遣生活ー失業ー求職ー派遣生活ー失業ー求職】
日本に帰って、1ヶ月ぐらいはオーストラリアのお友達と旅行したり
していたのですが、まだオーストラリア戻る予定はなく、ちょっとまた
日本で働いてみようと思い始めました。
実家から通えるところに仕事があれば、よかったのですが
田舎なので仕事がなく、都会に出ていき仕事探しが始まります。
一応、正社員から探し始めましたが、なかなか受かることはありませんでした。
オーストラリアで就職活動していたときは、年齢とか聞かれたことなかったのに、
年齢差別を受けている気分でした。
そんなこんなで、なかなか見つからないうちにお金がなくなってきたので
また事務系の派遣で働くという生活を始めました。
久しぶりに派遣社員で働くというのは、ずっと仕事の契約が続くわけではなく
3ヶ月ごとに更新されるのです。
だから、契約自体が不安定というので、いつクビになるのかと心は落ち着かないのですが
派遣の仕事でも決まったら最初はありがたいとう気持ちでやっていました。
自分の中では、2年ぐらいやったらオーストラリアに戻ろうぐらいで始めた
派遣生活ですが、1年ぐらいでまたリストラ(派遣切り)にあってしまうのです。
これも、私だけってわけではなく派遣で働いていた人も順番に解雇されいき、
正社員の方も部署移動をさせられています。
まあ仕方ないかと受け入れます。
でも、派遣の給料でアパートの家賃から生活費などを払っていると
自由になるお金はほとんど残りません。
休みになっても、出かけるとお金がかかるのであまり出かけられないし
なんのために生きているのかという気持ちになることしばしばでした。
その度に、なんで日本に帰ってきてしまったんだろうと思いましたが、
過去は変えられないので諦めました。
それ以来、
派遣生活ー失業ー求職ー派遣生活ー失業ー求職
だんだん、働いてる時間よりもー失業&求職の時間が長くなっていきます。
失業保険はあるとはいえ、失業期間が長くなってくるとお金も無くなるし
精神も病んでいきます。
帰ってきたすぐの頃は、いっぱいあった仕事もリーマンショックの影響や
自分の年齢も40歳を超えていき、派遣の事務の仕事は見つかりません。
職場での人間関係問題で、精神的にも限界になり、眩暈と耳鳴りが止まらず。
そんな中で、何ヶ月後かに見つかった派遣で行った先が
久しぶりの以前勤めていたブラック企業ぶりの、日本企業。
私って、日本企業ととことん相性が悪いんですよ。
日本の企業に派遣社員として行って、
ここで、幼少期や学生時代に、特にいじめの経験もない私が
40歳過ぎて、職場で陰湿ないじめに遭うという経験をしました。
失業の連続ですでに精神弱ってる上にいじめに免疫のない私は、
必要以上にメンタルをやられてしまいます。
もしからたら、いろんな人間関係を経ながら乗り越えてきた
社会人の皆さんなら耐えられた程度なのかもしれませんが
当時の私は完全にネガティブだったので、
耐えられませんでした。
派遣なのだから3ヶ月の更新時にやめればよかったのですが、
どこに行っても続かない自分自身を責めていたので、
我慢しなきゃという気持ちが働き、そのまま続けて
しまいました。
その結果どうなかったかというと、倒れてしまいました。
眩暈がして、左耳が聞こえなくなる
ストレスは本当に大敵です。
メルエール病ってやつです。
もちろん続けられなくなったので、仕事を
やめることにします。
もちろん仕事もできず、具合悪い日々が続き
失業保険もらいながら、病院通いをしています。
具合も悪いのでまた、
自分の思考も後ろ向きにしか考えられず
どんどん精神も病んでいきます。
この頃からちょっとベットから起きられない
生活が始まりました。
鬱状態の始まりです。
手に追えなくなってきたので、数ヶ月実家に帰って
治療に専念したことを覚えています。
大した結果が出ないのは必然ですよね。
【せっかく5年ぐらいかけて苦労した永住権を諦める】
ちょうどこの頃、せっかく取得した永住権の有効期限がキレそうでした。
永住権と言いながら、5年更新だったんですよ。
更新するためには、5年の間に2年はオーストラリアに滞在する
必要があったんです。
だから、永住権取ってから1年ぐらいでリストラきっかけで
日本に戻ってきてしまった更新時よりも1年前にオーストラリアに
戻らなければならなかった。
でも、自分は失業中&メンタル崩壊中でとてもじゃないけど
戻れる状態ではなかった。
そうやって、4-5年苦労して取得した永住権を手放すという
決断をしなければなりませんでした。
そして泣く泣く諦めました。
オーストラリアに帰るか帰らないか問題も、
日本に帰ってきて以来ずっーと頭にあって、悩み続けて
とても苦しかったです。
諦めたんだから、悩みが減って楽になるはずだったのに、
あんなに頑張った努力を自分で無駄にしてしまった
自分を責めてしまって苦しかったです。
でも自分を責めるのは一番良くないってことにこの時は気づいていませんでした。
【うつが回復してきたので、また職探し大阪に住んでるのに東京で働く】
当時は大阪にアパートを借りていたのですが、
東京で住んでいた時に東京の住所で登録して、
派遣会社から連絡がきました。
派遣とはいえ、最初にエントリーしても書類選考で落ちて、実際に面談まで
行けることは、この頃はもうほぼなくなっていました。
だから、え?東京に住んでないけど?と思いつつも
せっかくのチャンスだからエントリーして、面談まで行ったらラッキー
ぐらいの気持ちでエントリーしたら、面談という名の面接まで
進んでしまいました。
まあまあ有名な外資系の会社だったので、職場を見てみたい、
という気持ちもあって面談という名の面談に行きます。
そこの会社は、ちょっと駅から遠くて郊外にあり、
かつ上司がフランス人で日本語が話せないということで、
応募者自体が少なかったので、若くはない私のところまで
話が回ってきたとのことです。
奇跡的にこの派遣の仕事をいただくことができたのです。
来週から来てくださいって
働くまで、5日間ぐらいしかないです。
でもプチパニックですよ。
私のアパートは大阪にあるんですよ。
どうする??引っ越し??
そんな時間ない
でも、どうせ派遣、しかも外資系
正社員がなかなか決まらないからの募集。
私は思いました。
正社員の人が決まったら、突然解雇されるパターンでは
ないだろうか?!
アパートの解約するのは危険だと、
察知しました。
なので、大阪のアパートはそのままで
東京に一時的に住むところを探さなければいけません。
なんとか一時的に押し入れのぐらいの広さの。
シェアハウスのようなところを見つけ、
一時は年齢制限で入れられないと言われたのですが、
なんとか説得して入居を許可してもらいました。
まさか、40歳過ぎて押し入れの下のスペース
ぐらいしかない、人間の住むところとは思えない
ところに住むことになるとは思いませんでした。
流石に、1ヶ月ぐらいで限界がきて
もう少し、広いシェアハウスに引っ越しました。
そしてその会社では割と楽しく仕事をさせてもらって、
いたのですが、1年も経たないうちに
その日は突然訪れました。
突然の解雇です。(やっぱり)
しかも、更新時ではなく更新よりも3週間早く
来週から来なくてもいいです!
やっぱり、正社員が決まったのでその子が入ってくる
ために、体制を整えるんですって~
もちろん3週間分のお金はもらえますよ。
多少落ち込みましたが、またかという気分です。
東京でできた友達、元からいる友達と会ったり
実家に帰ったりしながら、
住んでないのにお金を払い続けていた大阪のアパートに戻りました。
インターネットビジネスとの出会い
仕事を探し始めるも全然どこに受からない。、
それに加えて、たまに襲ってくる目眩や左耳の聞き辛さ増していました。
「もう外で働くのは無理なのかもしれない。」
「だけどどうやって食べて行ったらいいのか?」
と思いました。
それから、
「インターネットで稼いでる人がいることに気づきました」
ここから、私のインターネットビジネスの出会いが始まります。
最初は、ひたすら検索ばかりしまくっていました。
ブログを立ち上げる??
アフィリエイト??
物販??
など、色々わからないことばかり。
なんでも2ヶ月間ー1万円でなんでも相談に乗りますよ
という人にお金を払ったのが最初です。
わからな過ぎて、質問ができなくて、一回ぐらいしか聞けなかったのを
覚えています。
初心者って、わからないことが何かもわからなないんですよね。
その後、当時は大阪に住んでいたし、リアルセミナー(無料から三千円)
ぐらいまでのに、いっぱい参加しました。
そこで、色々なビジネス用語が飛び交っていて最初はついていけなかったのですが
何個も参加してる間に、わかるようになてきました。
その中で気になった用語
ノウハウコレクター
という言葉、人に聞いたら、
ノウハウばかり収集していてちっとも行動しない人
らしい。つまりはいっぱい教材買ったり、塾に入ったりするけど
あまり結果を出せずに、次から次へと別の手法を探してる人たちのことだったのです。
自分はそんな人にはならない
と思っていたのに、自分もその仲間入りを果たしていくのでした。
そして、セミナーに参加すると明らかに胡散臭いのも多少ありましたが
みなさん、プレゼンがうまくてそこで紹介される塾やコンサルなどに
申し込みたくなるんですよね!
そして、気づいたら
国内転売塾
国内転売コンサル
アマゾン輸出
アプリ制作
ブログアフィリエイト塾
高額ビジネス塾
Twitter塾(当時はTwitter)
その他、ありとあらゆる教材
全く利益が出なかった賭けではなくて
それぞれ多少の利益は出しましたが、
それ以上に塾代やコンサル代の借金が溜まっていきました。。
今考えてみると、
うつの状態は良くなったたとはいえ、
完全には治ってなかったし
たまに具合は悪くなるし
更年期は始まるし、
自分なんて
ダメな人間だと思い込みがあるのに。
うまくいく訳がありませんでした。
でも真っ最中にいる時は全然気づかないんですよ。
いくら実力のある稼いでる人に教わっても
自分はダメ人間と思っていると、
ダメ人間が出来上がります。
特に個人コンサルの時はまだいいのですが、
塾みたいなものに入る時は
他人との比較で落ち込んでしまいがちな人は地獄です。
そんなビジネス塾に入ってくる人は
①私みたいにメンタル弱弱な人間。
②メンタルは弱くわないけれど、マインドが整ってない人間
③メンタルとマインドも整ってるけど、そこそこ行動ができる人
④メンタルとマインドも整ってるけど、めっちゃ行動ができる人
私の場合は、メンタルダメ、マインドダメ、
さらに具合が悪い、すでに40代後半。
そんな人がメンタル強い、マインド整ってる
若くて体力もあってやる気に満ち溢れた人に
ついていける訳がありません。
メンタルとマインドも整ってるだけでなく、
行動量、作業量もすごい人たちと
結果だけ比べては、落ち込み、自己卑下をし
また作業ができなくなるの繰り返しでした。
そのうちに、自分のメンタルを整えたり、
モチベーションを上げるために
時間を取られ、肝心の作業は全然進みませんでした。
【突然の父の死、アカウント削除で収入途絶える】
そんな中、なくなる15分前まで元気だった父が突然死してしまいました。
父親が大好きだった私はもう信じられなくて、深い悲しみが襲ってきました。
ちょうど同じ時期に、アプリの広告から多少なりとも収入を得ていたのに
Googleのアカウントが削除になり、収入0になってしまいました。
ダブルのショックで落ち込んで、しばらく放心状態になり、
冷静になったら、なりふり構わず外に仕事を探しに行ったかもしれない
でも、まだ突然めまいがするとか左耳が聞こえないって
いうのが改善されてなかったので、探しにいく気持ちになれませんでした。
そうしたら、どんどん自分を責め続けてしまって
また、ベットから出られない日々が続きました。
【再びうつ病発症】
一度うつ病になった人は、
なりやすいと聞いていたが、
また、うつ状態になってしまいました。
前よりも症状がひどくて、
普通に呼吸するのが難しい感じでした。
薬がないと
過呼吸のちょっと弱い感じに呼吸が激しくなり、
生きていくのもしんどいと感じていました。
どんなにひどい状態になっても、1時的に実家に帰ることは
あっても、住居を移すという感じで帰るのは実家に帰るのは
絶対嫌という信念で長年生きてきましたが、
高齢の母も一人で心配ですし、何よりも自分が壊れそうだったので
30年以上ぶりに実家に引っ越すとということにしました。
決断したというよりも、もう自分が壊れそうだったので
嫌とか言ってる場合っではありませんでした。
それでもうつ状態は相変わらずで、市役所の手続きとか
普段ならできることも、理解ができなくて
友達が区役所に一緒に行ってくれたり、荷物の手配や引っ越しの
手配も友達が代わりにやってくれました。
本当に、
その友人がいなかったら、どうなっていたんだろうって思います
本当に人は一人では生きていけないなと思いました。
ものすごくありがたかったです。
【見えない世界や潜在意識などにはまる】
実家に帰ってきても
とりあえずはメンタルの回復からなので
しばらくは何もできませんでした。
でも、少しずつ、洗面台周りだけ掃除をするとか
小さいことが出来るようになっていきました。
うつ病のまま一人で過ごしているのと、
私が動けない時は、代わりに生活用品を買いに行ったり
一緒に食べる相手がいるのではだいぶ心の安心感が違いました。
実家のいらないものを捨てたり、1箇所だけ掃除したり
何か自分で動けたことが
ちょっとづつ自信になっていきました。
その間に、いっぱい潜在意識とか
引き寄せの法則やらシークレットやら
色々な書物を読んでいきました。
脳科学や量子力学や心理学
自分を元気付けるためにいっぱいの本を読みました。
病院にもかよい、薬も処方してもらいましたが
それよりも、自分を回復するためにした
勉強が、自分を楽にしてくれていきました。
見えない世界のこと前から存在は知っていて、
興味があったのですが、さらっと読んだぐらいで
全然、自分が納得するまでわかってはいなかったと思います。
この頃に学んだ見えない世界のことが
すごい役に立って更には、コミュニティに入ったりして
どんどん自分自身に向き合っていきました。
そうしたら、気持ちがどんどん上向きになって
いきました。
この見えない世界のこと、心理学、脳科学
量子力学、宇宙の法則と言われるもの
ありとあらゆること学んだ結果、
この10年ぐらいなかなか上手くいかなかった理由
それとは逆に、夢を実現できた20代ー30代
なぜ上手く行ったのかが??腑に落ちてきました。
全ての原因は自分の内側にあったのだと!
コンテンツビジネスとの出会い
心がだいぶ元気になってきた私は、
今まで色々やってきた副業の中でもやってこなかった、
コンテンツビジネスに参入するしました。
コンテンツを作る方法も知らなかったので、
無料あさったり、有料の情報を購入したりして勉強しました。
ライティング教材から、マーケティングの教材
商品作成の教材をたんまりと買い込みました。
コンテンツどうしよう?って
わからないことが多すぎて手が止まってしまっていたのです。
たまに教材には無料相談のチャンスをくれている販売者がいて
思い切って相談したところ、いいアドバイスをもらえました。
やはり、教材を買って勉強しても
実際に商品を作って売るっていう体験をしないと、
お金を稼ぐことはできないと改めて思わされました。
その後、自分自身でで商品作り始めたのですが、
試行錯誤しては、やり直して半年もかかりました。
それでも、自分の商品ができた時には嬉しかったです。
そして初出品した商品が売れたときは
めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。
100円の商品だったのですが、
42個ぐらい売れて、その後も1980円に値上げしてからでも売れたんです。
一番嬉しかったのは、
自分の商品で、すごくためになってこの教材に教わったことを
実践していこうと思えました。と言ってもらったことです。
そんなに高くもない商品を作るのに、
半年もかかっていては、全然ダメだと思いました。
やっぱり、一人でやるのは限界があるのか?!
コンサルつけないとダメか?
と思っていた頃に、
『コンテンツ販売で結果を出してる、
人から学ぶ決断をし、その人からコンサルを受ける事にしました』
その人からは、効率の良いやり方を学び
半年かかってた商品作りも1週間ぐらいで、
できるようになりました。
できる人から直接教わってよかったことは
『分からない事をすぐ相談できること』
マニュアルを読んでも分からない操作とかも
Zoomで一緒に作業しながら、
教えてもらえてとてもよかったと思っています。
ビジネス以外でも、ちょっとしたお小遣い稼ぎの
情報なども教えてくれたり役に立ちました。
Brainという、コンテンツを売るプラットフォームで
商品を売るという経験ができてとてもいい経験ができました。
その後は、プラットフォームに
頼らず、自分の商品を作り19,800円ぐらいの
商品はポツリポツリと売れたんですが、
でも、なんか心がスッキリしないんです。
『なんかもっと自分が伝えたいことがちょっと違う』
とモヤモヤし始めました。
【コンテンツビジネスの中でちょっと方向転換】
ちょうどモヤモヤしていた頃、
『非稼ぐ系の商品販売できるビジネスを教える』
という企画を立ち上げた人がいました。
その人は、Brainで教材を色々買い漁っていた
時に知り合った私よりも結果を出している人です。
その人のが作る教材はわかりやすくて何個も
教材も買っていたし、Zoomでお話ししたことも
ある人だったので、いつもは迷う私ですが、
この時は、迷わず参加しました。
非稼ぐ系というのは、
コンテンツ販売は、コンテンツ販売でも
ビジネス以外のものを教えるものを販売するということです。
占いとか恋愛系とかスピリチャルとか心理系とか
とにかくお金を稼ぐをテーマにしないものです。
自分はどんなものに興味があるかな??と
自問自答したときに、やはり
数年前に学んでた、引き寄せ、量子力学
脳科学、心理学、宇宙法則、成功法則などが
心やマインドを整える系が自分の伝えたいことだ
と気づきました。
【筋トレと同じように自己否定癖を止める訓練をする】
見えない世界のことを学んでからは、
自己否定はなんの特にならないとわかり
自分否定をせず、自分を許すことを心がけてしていますが
たまに癖で責める癖が出てきてしまいます。
でも、その度に自分を認めてあげられるように
自分を責めそうになったら聞く動画をなどを
実践しています。
理論を理解したからって、訓練しないと
元の自分に戻っていきます。
だから、自分を責めない、そして自分を肯定することは
未来永久的にやっていくと決めました。
【量子力学と心理学】
引き寄せなど、見えない世界のことを
勉強していると、量子力学や、心理学も気になって
学びたくなってしまいます。
世の中のは、細かいアプローチは
違うものの、引き寄せの世界で言ってること
ビジネスの世界で習ったこと
量子力学、心理学などにいっぱい共通点があり
ただ、それぞれ違う用語を使って説明してるんだな
ということに、気づきました。
その上でやはり土台になるのは
自分自身の可能性を信じることだと思います。
【成功法則や成功者のマインドを徹底的に学ぶ】
心(魂)が元気になってきて、ビジネスまたやろうと思っても
成功者が当たり前のように持ち合わせている
成功マインドも自分の心(魂)と共に鍛えていかなければ
と思いました。
ビジネス塾に入っていた時も
マインドは超大事だよと言われてきましたが、
私も含め、当時の参加者はマインドなんていいから
早く、ノウハウ教えてくれ!っていう態度でした。
もちろんこの態度も問題ですが、
マインドを舐めていた人たちみんな結果に
なかなか結び付かなかったことが
今はっきりとわかります。
なので、億越えの経営者から成功マインドを
現在進行形で学んでいます。
この成功マインドは、別にビジネスやらない人でも
人間としていくていく上で学んだほうがいい内容
がいっぱい含まれています。
現在、人間としても日々成長中です。
【なぜ諦めないのか?】
これまでも、いろんなことに挑戦してきましたが
自分の満足いく結果がまだ、出ていなくても
なんで夢を追いかけることをやめないのか??
それは、諦めなければ夢に近づくことができるのを
信じているからです。
確かに私は20代、30代の時の夢は一回叶えたことがあるという、
経験からでしょと思う人もいるかもしれませんが。
あの頃は無我夢中で、自分の存在のことも否定していなかったし
いい方向にいくというのを信じることが自然にできていました、
でも日本に帰ってきてからは
すっかりネガティブ思考、自己否定の考えかたが
みについしてしまい。
15年以上にわたって続き、自己否定が
身体の一部のようになった私でも、
また復活できるんだというところが
誰れかの力になればいいなと
心から思っているからです。
ビジネスコンサル数回、10個以上のビジネス塾に
入った経験も、心とマインドが整えてから聞くと
とても理解できるし、今更ながらに役立ってることが
いっぱいあります。
今までの私のマイナスの出来事
全てに意味があったんだ
と心から思えているからです。
私はまだまだ、夢の途中ですが
自分が天然で夢を叶えた時の、
思考パターンなども自己分析し、
そのデータも利用しながら、また新たな夢を
達成できると信じでいます。
だから、いろんなことを諦めるわけには
いきません。
【自分の心がモヤモヤしない商品を作りたいと思う】
非稼ぐ系の教材を作る企画に参加し、
何度もZoomでミーティングしている
うちに、自分が伝えたいことがはっきりしてきました。
私は10年間ビジネス系のコンサルや
いくつものビジネス塾を経験してきて、
体験したことは、
自分のメンタル(心の整え)と、
成功するためのマインドセットと
が整ってないと、ビジネス塾に入っても
結局は時間もお金を無駄にしてしまう
ということです。
心の整えとマインドセットはビジネス塾に入る前に
やっておかなければならない
必須のものだと思っています。
この商品の完成が今の私の夢です。
もちろんその先の夢もありますが。。。
今回の私が商品は、
波動の話などの見えない世界の話と
物理的に見える世界のマインドの整え方などが
両方を学べるように作りました。
さらに、学んだだけでなく
ワークや実際の行動に移してもらえるよう
独自のメソッドでやる予定です。
【私がコンテンツビジネスをしている本当の理由は?】
今、自分の軸や心を整え直し、
成功マインドなどをしっかり学ぶことで、
普段の生活が生きやすくなったので、
これを一緒に伴走しながら、
自己否定をついしてしまう人や
ビジネスしようとしても
マインドが全然整ってなくて
いつも途中で諦める人や
ウジウジ悩んでばかりで行動できない人や
いつも他人と比べてしまい、
自分のことを下にみてしまって落ち込んでる人
を減らしていきたい。
という思いが強くなって、
現在進行形で、師匠に学びながら作っています。
この商品は、未来のお客様と自分を
助ける最強のプログラムになる予定です。
それを支えるのは
『自分の可能性を勝手に
限界を作り諦めてしまっているをなくす』
という理念です。
全ては、自分の思考グセが
原因になっていこことが多いです。
可能性があるのに、諦めてしまってる人や
無駄に、自分を責めたり
必要以上に、落ち込んだり
必要以上に不安がったり
将来、悲観している人が世の中には多いですし。
悲観はしていなくとも
『自分なんか……..』
という、自分を過小評価してる人や
自分を悲劇のヒロインしてしまってる人
その人たちが、
もっと生きやすい人生になればいいのにな
と思います。
今は、辛いよりも楽しい方が
いいじゃないですか
それを、視野を広げたり、思考の癖を
直したりすることで、どんどん
生きやすくなっていきます。
そして、そんな人たちと
楽しく、人生の後半も
生きていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。